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解答;祖国解放戦争について
 7月初めに「朝鮮の声」放送は、祖国解放戦争についての問題を出しました。
 解答を探し求める過程に、多くの視聴者の方々が朝鮮人民の祖国解放戦争についての正しい認識をお持ちになったと思います。
 祖国解放戦争についての視聴者の理解を図るため、スタッフは解答関連の記事を用意しました。
 この記事を通じて、視聴者の皆さんが祖国解放戦争についてのより幅広く正しい資料を得るようお願いするものです。

祖国解放戦争について

 アメリカ帝国主義者は1950年6月25日、朝鮮戦争を挑発しました。
 その日は日曜日でした。
 戦争挑発の日取りを日曜日に決めたのは、朝鮮戦争の挑発者としてのその正体を隠そうとの狡猾な陰謀からでした。
 当時のアメリカ軍事顧問団団長は、25日は日曜日である、キリスト教の国であるアメリカや韓国では日曜日を安息日としている、アメリカや韓国が日曜日に戦争を始めたと信じる者は一人もいないだろう、と言いました。
 祖国解放戦争は第2次大戦以降、民主主義陣営と帝国主義陣営との初めての対決でした。
 アメリカが自分の軍隊だけでなく、追随諸国の軍隊まで含めて膨大な兵力を朝鮮戦争に投入したこと自体が、朝鮮戦争の熾烈さと国際的性格を見せています。
 戦時中、無数の戦闘が行われましたが、朝鮮人民軍は多くの戦闘で世界を驚かせる奇跡を生みました。
 その主な戦闘を挙げますと、開戦3日目に敵の首都を制圧したソウル解放戦闘、現代包囲戦の輝かしい模範を示したテジョン解放戦闘、4隻の魚雷艇で海の「動く島」と呼ばれた敵軍の重巡洋艦「ボルティモア」を撃沈し、軽巡洋艦1隻を撃破して世界の海戦史に類を見ない偉勲を立てたチュムンジン海上戦闘、朝鮮人民軍とアメリカ侵略軍が初めて接戦してわずか数時間でアメリカの第24歩兵師団の先遣隊を全滅させたオサン戦闘、4門の大砲で5万人以上の大兵力と数百隻の艦船、およそ1000機の航空機と対戦して敵軍の上陸を3日間も遅らせたウォルミ島防御戦闘などがあります。
 祖国解放戦争の時、数多くの英雄が輩出しました。
 その数は600人以上に上りますが、2度の共和国英雄の称号を受けた軍人たちもいます。
 その中には、開戦して一番初めに敵軍のトーチカを胸でふさいだチャン・テファさん、敵の支配機関の牙城である「中央庁」に一番先に共和国の旗を翻したコ・ヒョンビンさん、手榴弾を口にくわえて肉弾となって適中に飛び込んだカン・ホヨンさん、全身に重傷を負っても、最後の力を振り絞って顎で重機の引き金を押して多数の敵兵を倒したチョ・グンシルさん、共和国初の女性パイロットとして多くの戦果を挙げたテ・ソンヒさんもいます。
 苛烈を極めた祖国解放戦争は1953年7月27日、朝鮮人民の勝利に終わりました。
 1953年7月27日10時、アメリカは自分の敗北を認める停戦協定に調印しました。
 当時、「国連軍」司令官だったクラークは、「勝利のない停戦協定に調印した史上最初のアメリカ軍司令官」となったと嘆きました。
 祖国解放戦争の勝利の要因は、偉大な金日成主席の優れた導きと、朝鮮人民軍軍人と朝鮮人民が発揮した崇高な愛国主義、そして集団的英雄主義です。その中で決定的要因は金日成主席の優れた導きです。
 祖国解放戦争の勝利の世界史的意義は、アメリカ帝国主義者の世界制覇戦略の実行を阻み、新たな世界大戦を防いで世界の平和を守ったところにあります。
 祖国解放戦争は、偉大な指導者の周りに固く結集して不死鳥のように立ち上がった軍隊と人民の思想の力、集団的英雄主義の威力にかなうものは世界にないという哲理を歴史に記しました。 
 朝鮮人民と人民軍軍人は、偉大な戦勝の世代が発揮した英雄的な精神と気風をしっかり引き継いで、チュチェの朝鮮の百戦百勝の歴史を末長く輝かせていくでしょう。